コラム #1
2014年4月24日公開
世界が評価する日本の織物
クールジャパン機構 代表取締役社長太田 伸之
本人撮影による
ファッションビジネスの世界では、フランス・オートクチュール・プレタポルテ連合協会が主催する「パリコレ」は世界の選ばれしクリエイターが新作発表できるプラットフォーム、サッカーで言えばワールドカップのような存在です。最近そのパリコレで明らかに日本製とわかる織物やニットを使うブランドが確実に増えています。北陸地方の高密度ポリエステルや特殊プリント素材、東海地方の毛織物やウールジャージー、中国地方のひと工夫あるデニムなど多くの欧米トップブランドが起用、デザイナーランキング上位トップ10に入るブランドのほとんどは日本製生地を使い、一番起用している人気ブランドは実に7割が日本製です。
2011年の大震災直後、松屋常務執行役員だった私は銀座本店1階セリーヌのバッグ売場で素敵なデニムのハンドバッグを見かけました。値段は約20万円、一般人にはなかなか手の届かない高級品です。そこで販売員に質問しました、「このデニム、日本製だよね」。すると販売員は正直に「はい、日本製です」。しかしながら、セリーヌが日本製デニムを使っていることを大半のお客様はご存知ありません。原産国表示にMADE IN JAPANと表記されていないからです。最終加工した場所の国名を原産国表示することになっていますから、素材やプリントが日本製であっても縫製がイタリアであればMADE IN ITALYになります。
デニムは綾織り、構造上必ず斜めに線が入ります。ジーンズをはいていると徐々に脚の形に馴染んでくるものですが、それは生地が斜行する、つまり生地の特性からどうしても斜めに歪むからです。安価なエコバッグなら斜行は許せますが、高級ハンドバッグでは困ります。だからセリーヌは斜行しない特別デニムを起用しているはず、そんな特別な織物を作ろうと工夫するのは日本の職人しかいません。だから「このデニム、日本製だよね」と訊いたのです。デニムに限らず、伝統的な織物の製造工程にひと手間かけて差別化素材を開発するのは日本の職人魂、世界のトップブランドはそのことをちゃんと心得ています。
本人撮影による
せっかくパリコレ人気上昇中の旬のブランドが日本の匠のワザを高く評価してくれているのに日本のお客様は全くご存知ない、 これはファッション業界人の端くれとしてはちょっと寂しい。そこで、日本のデニムの素晴らしさをお客様に伝えるイベントはできないものか、銀座から世界に日本のデニムの良さを発信できないかと考え、広島県福山市のデニム織物会社カイハラと、長年のライバル三越銀座店と協力して「ジャパン・デニム」をテーマに銀座中央通り歩行者天国で青空ファッションショー「ギンザ・ランウェイ」を開催しました。被災した東北のちびっ子たち、地元銀座・泰明小学校の生徒さん、枝野幸男経済産業大臣(=当時)、米国ブロードウェイ進出直前の女優・米倉涼子さんら総勢80人のモデルが全長100メートルのデニムランウェイを歩いたショーは新聞テレビで大きく取り上げられ、世界にも発信されました。大震災1年後の2012年3月のことです。
この青空ファッションショーの模様とデニムの生産現場を収録したTBSのドキュメンタリー番組「夢の扉+」は、日本製と中国製デニムの違いを顕微鏡の映像を使って詳しく解説してくれました。本来デニムは使い込むと色落ちして自然とカスタマイズされていきます。ブルーデニムの糸の芯の部分は白く、糸の外側だけが藍染めだからです。しかし番組で紹介された中国製デニムは糸の芯も外側もブルー、使い込んでもあまり色は落ちません。この染色技術の差こそが日本の職人ワザ、世界のトップジーンズメーカーやデザイナーズブランドが値段の高いジャパン・デニムを起用する理由はここにある、と視聴者は理解できたでしょう。
デニムプロモーションの出発点はセリーヌのハンドバッグだった、この話をセリーヌと同じ資本傘下ディオールの社長にしたとき、彼は「ディオールは(セリーヌより)もっと早くから日本のデニムを使っている」と勝ち誇った表情で私に言い返しました。現在サンローランのクリエイティブディレクターとして活躍しているエディ・スリマンがメンズのディオール・オムを担当していた10年前、ディオール・オムのジーンズは高価格にもかかわらず世界市場で大ヒットを飛ばしたことがあります。彼はそのことを言いたかったのでしょう。
現在のパリコレは日本製素材なくしては存在できません。が、残念ながら、そのことを多くの日本人は気がついていません。世界的人気ブランドがその価値を認める日本の匠、その技術を守り、世界にもっと売り込み、世界に日本ファンを増やし、同時に日本人にもその価値を認識してもらう、これもクールジャパンの重要な仕事だと思います。
PROFILE
太田 伸之 (Nobuyuki Ota)
クールジャパン機構 代表取締役社長
明治大学卒業後、フリーランスジャーナリストとしてニューヨークに渡る。1985年東京ファッションデザイナー協議会設立のために帰国、東京コレクションの運営を手がける。95年(株)松屋顧問、兼(株)東京生活研究所 専務取締役所長に就任。2000年(株)イッセイミヤケ代表取締役社長に就任。11年(株)松屋 常務執行役員MD戦略室長に就任。